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平成5年 阪神電鉄・福島駅地下工事レポート(続) [鉄道大好き~平成編]

(前回からのつづき)

H5.8.22のフォト・ウォッチングでは、阪神電鉄・福島駅の西側にも足を伸ばしているので、そのときの様子とH25.1現在の様子とを比較してみたい。

1993阪神・福島地上駅425-1.jpg

なにわ筋とあみだ池筋との中間区域・・・高架のJR環状線としばらくの区間並んでいたところである。

環状線の車窓から並走する阪神電車を眺めるのが好きだった・・・・。

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つづきはコチラ http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1608.html

 

 


平成5年 阪神電鉄・福島駅の地下工事レポート [鉄道大好き~平成編]

 

平成5年8月22日(日) 地下工事の進む阪神電鉄・福島駅周辺をパトロールした。

(註) この当時、阪神電車は、地下の始発駅梅田を出ると今でいうところのハービスOSAKAの東端あたりから地上に出て高架駅の野田阪神までは、地上路線を走っていた。

1993阪神・福島地上駅435-1.jpg  

これは、国道2号線「出入橋」交差点の様子。

前に見える踏切もいままでと寸分違わぬ日常風景なのだが・・・。

あとわずか2週間足らずでこの界隈は、地下路線となり、この踏切はその姿を消すこととなる。

そうとなれば、この界隈を記録しておかなければと、思い立ったが吉日、買ったばかりのCONTAX-T2を片手に気楽なフォト・ウォッチングに出かけたのだった。

続きはコチラ http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1607.html

 


平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その3) [或る日の出来事]

(前回からのつづき)

市電保存館には、珍機種なる車輌も保存されている。


1993大阪市電一般公開398-1.jpg

散水車21型(25号車)である。  青いテント屋根も夏らしくて洒落てるネ!


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昭和初期まで道路が未舗装で電車が通りたびに砂埃が立つため明治43年から散水車が登場した。


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平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その2) [鉄道大好き~平成編]

続いての車輌は、古典車輌の11型客車(30号)である。

1993大阪市電一般公開403-1.jpg

すぐ横には地下鉄四つ橋線の新鋭車輌の姿も見受けられ、その時々の主役の否応なしの移り代わりが歴然と感じられる。

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平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その1) [或る日の出来事]

今回は、懐かしの大阪市電の話題・・・

大阪市電の保存車輌といえば、平成5年まで、港区の見本市会場の跡地に出来た八幡屋交通公園の簡易なプレハブ小屋に保存されていた。その内部は薄暗い倉庫といった雰囲気で、金網越しにホコリをかぶった車輌が覗き見えた。 “保存”というより“収納”といった感じだった。

しかし、このたび住之江の大阪地下鉄の緑木車庫内に新設された鉄骨平家建の「市電保存館」に移転保存されることととなった。

そのことを記念して平成5年7月8月1日緑木車庫内で保存車輌の一般公開がおこなわれたので、見学してきた。

1993大阪市電一般公開417-1.jpg

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寺前行普通列車は、なんと超ロングシートのキハ58だった! [鉄道大好き~平成編]

平成4年7月1日のことだった。

姫路から和田山に伸びる播但線は、この当時、仕事でもたまに使うことがあった。

姫路10:12発の普通寺前行きに乗車して福崎に向かった。

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姫路駅播但線ホームに発車を待つ堂々の6両編成

手前に見えるのはキハ585511であるが、このカラーリングは以前どこかで見たことのあるような・・・


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1年前の平成3年4月に、和倉温泉でみたキハ58である。

七尾線の電化で余剰となった気動車がそのまま播但線に流れてきたものだった。

それだけなら、あまり驚くべきことはないが、車中に入ってみて、おろろいた!

1992播但線キハ585511-1.jpg

なんということでしょう! 

クロスシートを排除して設置された、こんなに長大なロングシートは、いまだかつて見たことがない。

途中に乗車扉がないため、15mもあろうかと思われる座席には圧倒される。

窓枠ひとつにつき3人掛けのシートを並べてあると計算すると11×3=33人掛けのロングシートである。

吊革は、はたして何個あるのやら・・・


ちょっと有り得ない光景に感動して、カバンの中から思わずカメラを取り出した。


一度全席埋まった状態を見たかったものだ。


※キハ58-5511は、金沢鉄道部のキハ58-433を平成4年1月31日付で松任工場にてロングシート化して姫路に異動させたものであり、その後平成11年4月23日付けをもってタイ国に輸出された。


(参考)
キハ58-5500番台
1991 - 1992年に姫新線や播但線などのローカル輸送で、通勤輸送を考慮してロングシート化改造されたグループ。床材張り替え、吊り手増設なども併せて行われた。改造施工は、鷹取・松任の両工場。全車姫路鉄道部に配置されたが、1999年に全車廃車となり廃区分番台となった。廃車後31両中20両がタイに譲渡されている。(Wikipediaより)



平成3年 西大寺鉄道バケットカー発見! [鉄道大好き~平成編]

平成3年7月22日仕事で岡山へ出向いた。

両備バスに乗って西大寺バスターミナルまで行ったが、そこで驚愕の西大寺鉄道のバケットカーを発見し、大喜びの写真撮影となった。

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あたかも始発駅西大寺市駅のホームで出発を待つ現役車輌のような風情である。

仕事カバンには常にコンパクトカメラ(オリンパスXA)を忍ばせておくことの価値を改めて感じた次第なり。
もしカメラを持っていなかったらどんなに悔やまれたことであろうか。

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昭和38年フォトニュース“東海道新幹線 今秋開通” [秘密の小筐(ファジー・コレクション)]

フォトニュースの最後は、もう一度新幹線の話題だ。

これが、いかに国鉄の社運を賭けた大事業であったかが、このような広告媒体からもうかがい知ることができる。

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トラベルフォトニュース第17巻第1号(通巻第161号)昭和38年12月25日発行

 全世界注目のもとに
 東海道新幹線 今秋開通

 世界の鉄道史に輝かしい1ページを飾る待望の東海道新幹線は、いよいよ今秋開通する。東海道線は東日本と西日本を結ぶ輸送の大動脈であるが、新幹線は現在の東海道線の輸送あい路を打開するものとして、その開通が大きく期待される。


このフォトニュースは12月25日発行のものだが、昭和39年1月に掲示されるべき“新年用フォトニュース”として制作されたものだったようだ。

このB編成は、昭和38年3月30日に速度向上試験において最高速度256km/hをマークし、当時の世界最高速度記録車となった。

その時を記念して下記の高速度記録銘板が先頭車の列車番号表示窓の下部に取り付けられたのだった!

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昭和37年フォトニュース“東海道新幹線ー試運転開始” [鉄道大好き~昭和編]

今回は、東海道新幹線の開業が間近となった昭和37年のフォトニュースをご紹介しよう。


このフォトニュースは、黒いバックに折れシワが白く浮かび立つ一枚だったので、スキャン後の部分修正に骨が折れた一枚だった。

しかしモノがモノだけに誠心誠意仕上げたつもりである。

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トラベルフォトニュース第15巻第9号(通巻第143号)昭和37年6月25日発行

東海道新幹線 試運転開始

東京-大阪間を3時間でむすぶ東海道新幹線は東京オリンピックの開催される明後39年開通を目ざしてちゃくちゃく進められているが試作電車も出そろい新幹線の小田原-綾瀬間のモデル線区でいよいよ試運転を開始した。

 

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昭和33年フォトニュース“新装の特急あさかぜ” [ファジーコレクション]

これも以前ご紹介したものだが、スキャンの後修正を加えて綺麗な状態にしてみた。

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トラベルフォトニュース第11巻第9号(通巻第98号)昭和33年8月25日発行

この最後尾車両は、寝台車ではなく座席車であったナハフ22 

この後曲面ガラスを用いるようになる展望部分のガラスが平板の合わせガラスであることが、貴重な存在である。


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これは、その後に寝台車に改造された同形式の車輌であるが、同様の平面ガラスが用いられている。

昭和49年5月2日吹田附近にて撮影(特急“日本海”)・・・詳細はコチラ


これらは既設の事項なので、さらりと流すが・・・ところでこのポスターを解像力を高めて覗いて見ると
・・・ナナナント!!!

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昭和33年フォトニュース“新特急こだま” [鉄道大好き~昭和編]

鉄道記念日  10月14日

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トラベルフォトニュース第11巻第10号(通巻第99号)昭和33年9月25日発行

フォトニュースは、毎月1回25日に発行されていたが、この当時は、発巻を重ねるも、まさに「こだま」一色の体をなしていた。


それだけ国鉄の威信をかけた大事業だったのだろう。


ついでに関連するB4サイズのフォトニュースの中にも興味深いものがいくつかあるので、同様にスキャンして掲載してみた。

 

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フォトニュースで新年のご挨拶 [ご挨拶]

                 謹 賀 新 年

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 年頭にあたり一言ご挨拶申し上げます。


1年半の休刊期間を経て、昨年7月よりブログを再開して6ヶ月、皆様の暖かいご支援により弊ブログも新しい年を迎えることが出来ました。

撮り溜めたネガに基づく記事については、その撮影日付が「平成」のものとなりましたが、それとて今から思えば四半世紀も経っているのかと、歳月の移ろいの速さに、改めて驚かされます。

今年も懐かしき鉄道風景とともに巷間の片隅に埋もれているファジーな記事ネタを見つけては、せっせとブログに掲載してまいりますので、お付き合いの程よろしくお願いいたします。


新年第一弾は、戦後からの脱却を遂げ、好景気に支えられた黄金期を目前にした国鉄の話題を提供いたします。


                                     平成25年 元旦   不 爾

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平成4年9月 再び小諸・望月町へ [鉄道大好き~平成編]

(前回からのつづき)

平成2年に小諸を訪れたが、それから2年ぶりとなる同地訪問である。

前回と違い、学習がすすんで、小海線の北中込駅からだと望月町へは程近いということが分かったので、今回はそのルートを取った。

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北中込駅は、ホームに上屋もない簡易な駅だった。

キハ110-106ほか

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鉄道施設の“痰壺(タンツボ)”を考える [鉄道大好き~平成編]

思えば、平成4年9月28日の早暁のことだった。

2年ぶりに信州小諸に向かう途上に降りた新大阪駅の12番ホームで、最近トンと目にしないため、てっきり絶滅したと思っていた「痰壷(タンツボ)」を発見した。



太いホームの柱のネキに、ちんまりと納まっていた。

それも赤ペンキの工部省マークのついたホーローびきの出自正しき純正品である。

1992小諸と新大阪368-11.jpg

おおっ!と唸り、新幹線の発車時刻を気にしながらも、通行人が少なくなるのを待ってカバンからカメラを取り出し“激写”した。


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上記写真の部分アップすると、周辺のガラス質がかなり剥げ落ちて時代を感じるものとなっている。

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平成4年 近江鉄道日野駅訪問 [鉄道大好き~平成編]

平成4年6月1日とある仕事で近江鉄道日野駅に向かった。

普段の仕事だとJR近江八幡駅からバスで日野に向かうのだが、このときは時間に余裕があったのか鉄道を利用した。


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ステンレスの模様腰板と乗客用扉を有していたハイカラなモハ506+クハ1506

近江八幡駅にて


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その車内を観察すれば・・・ワンマンカーの料金箱は分かるけど、そこの座席は正座専用??

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平成4年 クラシックバス2題 [阿房旅行アルバム]

平成4年4月のことだった。

吉野山と奈良公園に行った際、それぞれクラシックなバスに出会った。

まとめてご紹介しようと思う。



(1)H4.4.29奈良公園での出会い

黄金週間の一日、奈良公園に遊ぶ。

春日大社の参道付近を歩いていたら、奈良交通のボンネットバスがやってきた。


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祝日なのでボンネット部分に日章旗が見える。

もちろん車掌さんも乗っている。


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ゴールデンウイークの目玉として臨時に運用していたものかどうかは不明だが、右回りの市内循環の標識を掲げて一般乗り合いバスとして運行しているのには驚いた。


このバスは、改造を加えられた後、現在でもイベントなどでその姿を見ることが出来るらしいが、このように一般運行用車輌として走ることはないだろう。

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地上駅よさらば・・・北陸本線金沢駅 [鉄道大好き~平成編]

平成3年4月27日黄金週間を使って、職場旅行として和倉温泉に出かけた。

立ち寄った金沢駅では、高架工事の真っ只中。


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駅本屋は変わりなかったが、ホーム部分は、レールが剥がされ、架線柱が撤去され、哀れな状態だった。

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昭和60年9月に立ち寄った折もかなりレールが剥がされた状態であったが、その後高架ホームができて、いよいよ高架駅への切り替えを待つばかりとなっていた。

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あわのだんごの守のひとりごと [或る日の出来事]



ある夜、会議の後、居酒屋で仲間たちと気炎を吐いていたら、小学生の娘からケイタイメールが届いた。


凡例:〇〇、△△は伏字





×月×日19:56:40着信アリ

 わらわは、〇〇姫でござりまする。
算術の問題が難解につき、わらわの頭では、解けませぬので、早く帰ってきてほしいとおもっております。
お待ちもうしておりまする。
△△殿へ。  




×月×日20:08:22送信ズミ

〇〇姫様
只今作戦会議中でござる。
その後、城外にて小宴あるによって今夜のお勉勉は無理にてそうろう。明朝にされたし。
御免そうらへ<(_ _)>
△△〇〇守





×月×日20:17:10 subお怒りの中の〇〇姫より

わらわの一大事なのに、酒を飲むなど、なんと無礼な。
もう、わらわは知らん。
わらわは、朝の10時から昼の4時まで頑張ったのに…(寺子屋にて)
奥方様も呆れておられると言うのに…
無礼な〇〇殿へ。
 



ハハハ・・・あの「れんしゅうをしいや」の娘が、こんなメールを送ってくるやうになりました・・・・・・∪∪!


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平成2年 平成の千曲川スケツチ [鉄道大好き~平成編]

/平成2年11月14日些かなる出張の命ありて長野縣北佐久郡望月町なる地處に赴く。

望月町といへば、古城のほとりなる小諸より旧弊たる路線の乘合自動車にて、思はるる以上の時間揺られざれば到着できぬ箇所なり。

よつて大坂より陸路を辿るれば、だうしても日歸り不可能と相ひなる。

此のご時世、札幌や那覇にても大坂から日歸り可能也といふに、其れより頗る近き信州・北佐久の某町へのそれが叶わぬとは、何とも理不儘なる心地こそ憶ゆれ。

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平成2年9月 三角屋根のJR長崎駅 [鉄道大好き~平成編]

平成2年9月23日職場旅行で長崎オランダ村に行った。

(しかしながら歴史の経緯は無情なもので、平成4年のハウステンボスが開園してからは、とんと忘れられた存在となり、知らない間にその姿を消してしまったようだ。)


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その最終宿泊地はJR長崎駅近くの「ホテルニュー長崎」だった。

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太っ腹な“関西文化の日”・・・博物館のはしごの一日 [或る日の出来事]

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平成24年も“関西文化の日”がやってきた。

今年は11月17日と18日がメインとなって、数多くの博物館・美術館の入場料がタダになるので、このときとばかりに預けてあった博物館はしご訪問を、小学生の息子とともに実行する。



1件目は、重要文化財の“適塾”である。

隣接する日本最古の幼稚園である「愛珠幼稚園」には何度か訪れたことがあるが、こちらは初めてだった。

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平成2年1月 シュプール号でスキーに行こう [鉄道大好き~平成編]

平成2年1月のことだった。

大学時代の旧友と岩岳にスキーに行くこととなったが、メンバーは全国に散らばっているため、現地集合ということになった。

小生は、新大阪から名古屋まで新幹線を利用して、名古屋からは夜行列車のシュプール号でいくことにした。

昔と違い、スキー板やスキー靴の嵩張る荷物は、宅急便で先送りすることができたので、本当に気軽なスキー旅行となった。


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名古屋駅ではユーロライナー仕様の『 シュプール ユーロ赤倉・志賀 』に遭遇する。

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昭和55年 関東鉄道・常総線・水海道機関区訪問記(後編) [鉄道大好き~昭和編]

(前回からのつづき)


昭和55年5月現在の常総線は、キハ07の改造車両のほかにも、かなり特異な面々が在籍していた。

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これは、キクハ1形の1号。

本来電車であった小田急のクハ1650形を昭和44年に譲受けた車輌である。(H1廃車)
 

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昭和55年 関東鉄道・常総線・水海道機関区訪問記(前編) [鉄道大好き~昭和編]

今日は、懐かしい話題をひとつ提供いたしましょう・・・



昭和55年当時非電化の最大私鉄といえば、この関東鉄道であった。

その中でも常総線の車輌基地である水海道車庫は最大勢力であり実に多彩な車輌を見ることが出来た。

関東鉄道の他の路線はすでに当ブログにてご紹介済みである。


昭和55年3月31日 旧関東鉄道・筑波線(筑波鉄道・筑波線)コチラ

昭和55年3月31日 旧関東鉄道・鉾田線(鹿島鉄道・鉾田線)コチラ

昭和55年5月11日 関東鉄道・竜ヶ崎線コチラ


他の路線はこのように随分前に記事にしていたが、常総線だけは何故か掲載するのをためらっていた感がある。

なぜなら車輌紹介に終始しているようで、一部のマニア以外には面白くなかろうと考えていた節があるからだ。

しかし、この路線を紹介しないままでは関東鉄道の全路線を制覇したことにならないし、30年以上経過して改めてネガを見直してみると、現在では見ることができないユニークな顔立ちの車輌が数多く存在する事が確認できた。

思い立ったが吉日・・・遅ればせながら本日記事としてアップすることとした。

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京都タワーからの眺望 [阿房旅行アルバム]

開設40周年の梅小路蒸気機関車館を見学した後、多客で賑わう京都水族館を眺めながら梅小路公園を横切り、京都駅まで歩く。

その途中でもC622の重厚な五音階汽笛が町家の路地にまで響いてきて、往年の彼の地もかくありやと思われた。

小学生の息子が、先日登った通天閣に味を〆て、京都タワーにも登りたいと言って来た。(実は彼にはガチャボンをやりたいという秘密の望みがあるのだ。)

そういえば、以前に登ったのは・・・・昭和46年頃だったと記憶しているから、もうすっかり内部の様子など忘れてしまっているので、それでは今一度登ってみるかと、いうことになった。

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開設40周年の梅小路蒸気機関車館 [鉄道大好き~平成編]

今年は、本邦鉄道開設140周年にあたるが、鉄道100年を記念して開設された京都・梅小路蒸気機関車館の40周年にもあたる。

その鉄道記念日である10月14日がちょうど日曜日であったので、小学生の息子とともに彼の地を訪れた。


山陰線・丹波口駅までJRを利用する。

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旧二条駅駅舎の正面玄関もすっかりなじんできた。

開設当時の入り口はもう少し南側で山陰線の高架下のトンネルをくぐるような感じであったように記憶している。


鉄道記念日なので、今までの経験からきっと入場料は無料ではなかろうか・・・と思っていたが案に違わず無料であった。

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平成元年 南宮崎車輌基地を訪ねて [鉄道大好き~平成編]

平成1年10月26日に続いて同年11月2日に再び宮崎を訪れる。

前回同様大淀川鉄橋を訪れた後は、南宮崎に向かう。

そこには、車輌基地があるので、写欲を満たすような車輌はいないか?との思いからである。

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平成元年 宮崎・大淀川鉄橋訪問 [鉄道大好き~平成編]

宮崎の日豊本線大淀川鉄橋といえば、鉄道写真撮影者にとっては聖地といえるところである。

特に蒸気機関車の場合は足回りがすっきりと見渡せ、良い写真が撮れるところとして有名であった。鉄道写真集でも数多く目にするビューポイントである。

そんな名所に一度は訪れたいと思っていたが、平成1年10月26日仕事で宮崎に行くことがあり、その合間を縫って初めて訪れた。


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宮崎発博多行き 急行えびの4号 5614D キハ58×2+キハ65 

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原鉄道模型博物館を訪ねて [阿房の気まま旅日記]

平成24年9月26日(水)晴れ 午前5時起床

本日は、東京出張の日である。新宿に10時30分に集合となれば、どうしても新大阪発午前7時頃の新幹線のぞみを利用することとなる。

絶対遅刻できないので、余裕をもって午後6時50分発ののぞみを予約する。さらにそののぞみに遅れないようにするため余裕をもって家を出ることとなり、余裕をもって5時に起床となる。もちろん念のため目覚まし時計も複数個用意して寝た。

ここまでしておくと、不思議とアラーム時刻前に目覚めるし、電車も定時運転で遅れも全くないという結果となるものだ。よって精神衛生上頗る良好にして、平常心をもって仕事もスムーズに片付くことと相成る。

ということで予定時刻より早く家を出たので、JR弁天町よりレア列車であるB快速に乗車することができた。

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この列車午前5時前に和歌山を出発し新大阪へ向かう快速列車だが、特急くろしおやはるかと同様、西九条からは貨物線を利用して直接新大阪へショットカットして行く列車である。阪和線での事故などで遅れてしまうと元も子もないが、定時運行であれば、さらに時間短縮となり予定よりからり早く新大阪に到着する。

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つづはコチラ http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1589.html


消え行く片町駅夜景 [鉄道大好き~平成編]

平成元年のことだった。

国鉄時代から計画されてようやくこの年に工事がスタートしている「JR東西線」

同線の完成とともに消滅する運命の「片町駅」

昼間は、駅前のタクシーなどが邪魔をして上手く写真が撮れない駅だったが、夜間ともなると駅前はひっそりして多少道路に飛び出しても自動車の迷惑になることがなかった。

何かの会合の帰りだと思われるが、そのようにして撮影した片町駅の写真が1枚手許にある。

昼間の同駅写真は枚挙にいとまがないが、夜の光景は珍しいのではなかろうか。


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戦前の駅舎の特徴をもち、神戸駅と同様シンプルな造形にスクラッチタイルの外観が渋い。

また他の駅に先駆けて「自動改札機」いち早く導入された駅でもある。


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玄関口をアップしてみた。木製の重厚なガラス扉が懐かしい。

 

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