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明治37年最新詳密世界全地図③ [ファジーコレクション]

 
 
次に、少し南下して東南アジアを見てみよう。

暹羅って何だ?と思ったらシャムであった。泰(タイ)じゃなかったのか?
タイは第二次大戦後の国名。それまではシャム猫のシャム王国であった。

でもタイ(泰)とビルマ(緬甸)を結ぶ泰緬鉄道は戦時中からの呼称じゃなかったのかなあ。
う~ん、ようわからん。
首都は盤谷(バンコク)・・・これは、わかりやすいね。

一方ミャンマーことビルマ(緬甸)はイギリス領インド帝国の一部だったので、インド、パキスタンと同じ赤色で示されている。

柬埔寨はカンボジア。この当時フランス領インドシナとなっている。
フランスはそれ以外にもベトナム南部のコーチシナ(交趾支那)を併合し、ベトナム中部の安南国 、ベトナム北部のトンキン(東京)を保護領 (安南国主権下だがフランスが行政権を委任される)とし、これらをもってフランス領インドシナであるとした。その当時ラオスは余り国家として確立していなかったようだ。
ちなみに「河内」は東大阪市の旧称じゃなくてハノイのこと。

この当時の東南アジアは暹羅を除き、西欧列強の傘下に入っていたことがわかる。
昭和に入ってからアジアをヨーロッパ人から取り戻すという名目を掲げて日本がここに進駐し出した訳だわ。

このあたりの歴史は学校でもほとんど習っていないので、むつかしいねえ。
知らないことばかりだ。

もっと南に下るとオーストラリア(濠太剌利亜)。
1901年この地図ができる僅か3年前にイギリスから独立したばかりのほんと新しい国。
ニュージーランドは新西蘭と表記。

それより南の南極大陸は、ほんとうに人跡未踏の地らしく、地図がほんの一部しか書かれておらず、あとは点線でアバウト。
何か大きな陸地があるようだがよく分からん?といった状態だったのだろう。
南極圏として大まかに区分しているのが面白い。

アムンゼンの南極点到達が明治44年。われらが白瀬 矗の南極探検が明治45年だからこの地図作成時からするとまだまだ先のことであったのだ。

・・・つづく・・・


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天女が遊

じっくり!見てみると面白いですね~
河内=ハノイ!こんな所に河内が??・・・と思いましたよ(笑)
ニュージーランド=新西蘭、駄洒落ですかね!?^^;
南極は極地!南極圏??やっぱり大陸とは明記されてませんね~
アバウトな点線は後から・・・・・書いたものでは??
by 天女が遊 (2007-02-24 12:08) 

あらら、読めない国名の漢字がたくさん・・
まるで別の次元・世界の地図のように見えてしまいます。
by (2007-02-25 17:32) 

地図と歴史には深い関わりがあるんですね。。
南極は、やっぱり「何となく陸地があるらしい」程度だったんですね。"詳密"といいつつ、結構アバウトなのも面白いところです。
by (2007-02-28 12:33) 

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