日本万国博覧会公式ガイド~昭和45年~ [ファジーコレクション]
実家の書棚をいじくっていたら、万博の公式ガイドが出てきた。
最近の愛知万博のものではなく、1970年の大阪万博のもの。
行くときにはかならず、このガイドブックを携えていき、行ったパビリオンのページには、記念スタンプをペタペタ押して、もらったパンフをはさんでいった。一種の朱印帳となっていた。
小さな国のパビリオンがすいていたので、そういうところばかり回ってスタンプを集めていたね。
このとき世界には、ほんと・・・いろんな国があるんだなあ。とつくづく思ったもんだ。
はじめて聞く小国も多かった。
いわば、居ながらにして世界一周するようなものだった。
また、国内の企業も夢があった。
大阪ガスは、ガスパビリオン。当時のパンフの中から記念の絵葉書三枚もでてきた。
とってもユニークだった。企業に遊び心があったね。
サンヨー館の人間洗濯機なんて、現在の発想では陳腐かもしれないが、当時は未来予想図のようで、ポカンと口をあけて真剣にみていた。
三菱未来館は、何度も行った記憶がある。
館内の大掛かりな仕掛けが現在のUSJのテーマ館のようで、少年にとっては極めて魅力的であったのだろう。
入場券の半券も出てきた。たしか5~6回は出かけたような記憶がある。
テーマは、「人類の進歩と調和」・・・高度成長を背景にした、泣かせるフレーズだ。
カプセルになった空中ビュッフェの中で飲んだ三角パック牛乳には仰天したね。
宇宙食のような気分だったことが昨日のように思い出される。
おもえば、あれが紙パックのはしりだった。
地下鉄や阪急も万博専用路線や専用駅を設けて輸送に一役買っていた。
なにもかも元気な時代。
あれからもう37年もたったのか・・・あの時の少年も・・・しみじみ「少年易老学難成」と思うね。
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これは懐かしい!
私が小学校3年生の頃でしたね。
by risu (2007-05-23 19:27)
この懐かしい朱印帳、私も持っています。
後年、この朱印帳を制作した、でもその当時は何も詳しく知らなかった、当の企業に勤めることになったのでした。出会いの一冊でした。
by (2007-05-24 01:25)
うひゃーっ、懐かしい!
やっぱり万博といえばEXPO’70ですね!入場者数6400万人、イベント史上不滅の金字塔といっても過言ではないでしょう。以後、様々な万博と称したイベントがありましたが、EXPO’70から見れば村祭程度にしか感じません。
なにしろ、終電を延長運転しても帰りの客を捌ききれず、何千人もの人が会場で野宿したなんていう事件もあったくらいですから。
今でもカラオケで歌いますよ「世界の国からこんにちは」。
by サットン (2007-05-24 10:27)
>takagakiさん。こんにちは。
小学3年であれば、楽しかった思い出たくさんあることでしょうね。
>yutakamiさん。こんにちは。
このガイドブックの会社にご就職されましたか。大変なご縁ですね。
>サットンさん。こんにちは。
確かに、国民的なお祭騒ぎでしたね。先年の愛知万博は結局行けず仕舞いでした。
by Fuzzy (2007-05-25 07:14)
懐かしいですね。
私は当時10歳でした。
ところで阪急の天六から下はありましたっけ?
堺筋線ってそのころもうあったのかな?
by はっさん (2007-06-23 01:56)
>はっさん。こんにちは。
当時天六から南側は、開通していましたね。
万博の開業に合わせて堺筋線をオープンさせたと記憶しています。
by Fuzzy (2007-06-23 07:45)
同じく、大阪万博なっつかし~。私も6年生でした。
先日嘉門たつおさんに会ったとき、”万博は20回以上いきましたわ”ってゆーたはりました。
千里中央~万博中央口間は、今の中国自動車道でしたね。
阪急も万博西口駅が。(当時は千里山線やったのか?もう千里線やったのか?)
動物園前にマルーンの電車が全くミスマッチでした(今でもね)
by キョウダイ (2007-06-25 09:59)