復元された流電モハ52001 [鉄道大好き♪]
昭和56年、吹田機関区に、復元された流電モハ52001を見学に行ったときのレポートと
そのHOモデル作成時の思い出はなし・・・
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-710.html
瀬野八のプッシャーEF59 [鉄道大好き♪]
広島の東に位置する、山陽線上りの瀬野→八本松(瀬野八)は、西の箱根と喩えられるほどの急勾配がつづく難所である。
瀬野駅から八本松駅に向かって22.6‰(パーミル)(1000メートルあたり22.6メートルの高低差)の急勾配が連続し、往年は、3シリンダーを駆使する蒸気機関車のC52がここで列車の後部に連結して、後押ししながら列車を押し上げていった。
電化した後では、現在の高性能の電車は単独で登れるようになったが、貨物列車はまだまだ後補機を必要としている。
東海道の優等列車を牽引していた、往年の大型電機EF53やEF56が活躍していると聞いて、昭和49年9月16日瀬野駅を訪れた。
岡山までは新幹線を利用したようだ。(この当時、山陽新幹線は、岡山まで開通済み。岡山以西はこの半年後には完成するという頃だった。)
新大阪駅では、いきなりドクターイエローの登場。
黄色いボディと六角形の窓が特殊車両であることを示している。
むおぉ!何か今日はいい事があるような気がしてきた。
しかし、このボディー、かなり痛んできているね。
きっと開業以来酷使されてきたんだろう。
・・・・・・・
◇◇SL伊賀路の旅◇◇ [鉄道大好き♪]
今は昔・・・
昭和48年11月3日・・・関西線にD51のファーストナンバー機・・・1号機がやってきた。
初期型のD51は、煙突の後ろからドームまでをひとつの大きなカバーで覆っている。
製作者にとっては、有難くないニックネームだろう・・・「なめくじ」と呼ばれている。
奈良駅構内で朝日をあびるD511の美しいサイドビュー。
三代目大阪駅を歩く(その3) [鉄道大好き♪]
駅舎だけだと消化不良になるので、ホームにあがろう。
これは、かつての9・10番線ホームの様子
開業当時からの壁面が残る昇降階段
客車・電車の大型化に伴い、嵩上げしたホームとの段差が年輪のようになって現れている。
この階段もリベットの美しいホーム屋根も、このたびの大改修に伴って姿を消した。
昭和48年当時、三代目大阪駅の見えるホームでは、こんな列車が去来していた。
さあさ、千両役者のオンパレード!
この当時、山陽新幹線は新大阪~岡山は開業済みであったが、大阪から広島へ行くお客の岡山での乗り換えのわずらわしさを回避するためにこの「しおじ」は残ったようだ。
国鉄顧問であった百閒先生が存命であれば「至極当然なり」といいそうな国鉄的発想である。
三代目大阪駅を歩く(その2) [鉄道大好き♪]
前回にひきつづき、今回は大阪駅の構内を見ていこう。
まずは、東口コンコース。今では御堂筋口なんていってるところ。
高い天井がゆったりとした空間をもたらしている。広告が少ないのですっきりした雰囲気である。
さすが国営企業「日本国有鉄道」だ。
(現在の様子) 綺麗な感じには仕上がっているが、天井は低く、なんか閉塞感が漂う。
右側には、店舗がずらりと並び、そこにあった券売機や出札所は、すべて左側にまとめられてしまった。
三代目大阪駅を歩く(その1) [鉄道大好き♪]
昭和48年真夏の8月に、鉄道研究部の活動として大阪駅の構内の写真を撮り回ったことがあった。
今回ネガを丹念に見ると、普段のテツ活動であれば撮らないだろうな。と思われるシーンも数多くシャッターを切っている。 Nikkor58mmf1.4一本きりで、薄暗い構内を絞り開放に近い値で撮っているので、被写界深度も浅く、拙いものだが、現在の姿と比較してみると面白いかもしれないと思い、ここに掲載してみた。
あの当時は、昭和15年6月築の三代目駅舎だった。
まずは、西側からの様子。
8月というのに、窓が全開になっているということは・・・クーラーがなかったんだね。ご苦労様です。
西口広場は、青天の駐車場として使用して、ゆったりとした時代だった。
(現在の様子)
西口の駐車場部分は、高速バスの乗り場となっていて、2階部分には旅行会社なんかが入っているプレハブ建物ができているので、ここまでセットバックしないと撮影不可なのだ。
軍艦駅・土浦 [鉄道大好き♪]
先日、筑波鉄道をご紹介したときに付記したが、国鉄常磐線・土浦駅本屋の取毀時の資料がこれだ。
駅舎の撮影日は、ネガ袋の記載によれば昭和56年12月14日とある。
建て替えのため旧本屋での営業を取りやめた翌日のことだった。
愛すべきブルドック“キハ81” [鉄道大好き♪]
so-netブログには、関連ソフトとして、so-netフォトという写真を投稿するコーナーがあり、誰でも利用・閲覧することができる。
使ひ方は・・・上のso-netフォトをクリックするか、so-netフォトのトップを開いて、
右下の「SEARCH検索」の下を「画像オーナー」を選択して、その下に「ファジー」と入力して「GO」をクリックするだけ。
私は、今年1月からこれを利用している。
一般的には、写真アルバムとして利用している人が多いのだが、私の場合、ブログに載せた写真や掲載予定の写真をグループごとにまとめ、一覧性をもたせるように設定している。
その上で、ある写真をクリックすれば、写真の下に「説明文」として該当するブログのページが表示され、そこをクリックするとブログの記事にアクセスすることができる仕組みをとっている。
謂うなれば、so-netフォトにブログへのひとつの窓口としての性格を与えてみた。
すると、ブログのアクセス件数が飛躍的にアップした。
ということは、写真からアプローチする来訪者も数多いということだ・・・これこそピクトリアル=pictorial(画報)としてのあるべき姿かもしれない。
また、このso-netフォトにもniceというシステムがあり、閲覧者(メンバーに限る)の気に入った写真にはniceを与えることができる。
そこで少し気になることがあった。
というのは・・・私のアルバムの中の古い写真にniceを多くいただくのは有難い限りであるが、
この写真・・・交通科学博物館に保存されているキハ81に対するniceの数が、なぜか多いのだ。
これは、2006年11月19日の特急はつかりの記事で載せたものだが、大阪・弁天町に行って入場料さえ払えば誰でも見られるシロモノである。
珍しくもなんともないものなのだが・・・不思議だ。
閲覧者は、いたく「やぶにらみのブルドッグ」ことキハ81がお好みと見えるので、我が家にあるキハ81の晩年である特急くろしお時代の写真をここに集めてみた。
興味ある方はごらん下されぃ。
さらば・・・寝台急行「銀河」 [鉄道大好き♪]
この3月のJRダイヤ改正で寝台列車が少なからず廃止されるが、私にとっては寝台急行「銀河」がなくなるのがなんとも惜しい。
よく利用した列車なので名残惜しいが、一方では、ラストランに向けた狂騒ぶりが垣間見られる。
2月17日の産経ニュースによれば・・・
■マニアの暴走?
JR西日本によると、14日午前10時に始まったラストランの予約受け付けはわずか30秒で完売。残り1カ月を切り週末はすでにほぼ満席の状態という。最後の盛況ぶりに「『葬式走』ってやつは好きじゃない。なくなることが決まる前に乗ってくれなきゃ…」と本音を漏らす鉄道マンも。
また、廃止が決まると必ずといっていいほど装備品を盗む不届きな輩が出没するという。「銀河」も2号車の行き先表示器が被害に遭い、粗末な紙製の字幕で代用していた。
準備ができ次第、正規の字幕に交換されるが、ラストランが近づく中、惨めな姿での運行を余儀なくされた。一部マニアの“暴走”とみられるが、犯罪のうえに車両への冒涜(ぼうとく)でもあり、絶対に許されない行為だ。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080217/trd0802171520009-n1.htm
気持ちを落ち着けて・・・穏やかであった頃をご紹介しよう。
これは、平成18年6月に利用したときの模様・・・
竜華機関区訪問 [鉄道大好き♪]
これも、昔のお話・・・
関西本線の湊町~奈良の電化完成を直後に控えた昭和48年9月15日関西本線・久宝寺にある竜華機関区を訪れた。
竜華(りゅうげ)とは、その機関区のある場所・・・八尾市に合併される前の中河内郡龍華町に基づくものだが、とても神秘的な名前でおまけに扇形庫があるので、鉄道ファンにとっては聖地みたいなところだった。
(というか、勝手に聖地にしていた・・・。)
大阪環状線には、電化後の直通快速の試運転が始まっていた。
しかし、天王寺駅に足を踏み入れると昨日までと同じキハ35が、カラン♪カラン♪・・・とアイドリング音をたてていた。
このキハ35は、環状線の101系と同じく人気のない車両だったね。
筑波鉄道 筑波線 [鉄道大好き♪]
今日は、筑波鉄道。
この鉄道も歴史がある。 大正7年には早くも、常磐線の土浦駅から水戸線の岩瀬駅まで通じていたが、いまでは鹿島鉄道同様、廃止されて存在しない。
昭和55年当時、土浦駅にたまに姿を見せる旧国鉄キハ04の美しさには何度も目が釘付けになったものだ。
霞ヶ浦の予科練の玄関口でもあった木造の土浦駅は、その姿から軍艦駅とよばれていたが、つくば科学博を契機に駅ビルに建て直されてしまった。
今となっては昔の話だ。(写真と当時の新聞記事は保存しているので、後日ご披露しよう)
(閑話休題・・・それはさておき)
これは、また土浦軍艦駅が健在であった当時、筑波鉄道の真鍋車庫を訪れた際の記録である。 土浦駅に近い真鍋駅・・・ここに車庫がある。
程よいシーナリーである。
駅ホームからの風景・・・ここから車庫が一望できるのが嬉しいね。
鹿島鉄道 鉾田線 [鉄道大好き♪]
関東鉄道の竜ヶ崎線に引き続いては、今回は鹿島鉄道 鉾田線。
これも昭和55年訪問した内容。
国鉄常磐線の「石岡」から「鉾田」までを結ぶローカル鉄道で歴史は、大正13年に遡る。
これは、鹿島鉄道・鉾田駅本屋
木造瓦葺家屋に、強引に戦前のモダニズムを取り入れた意匠がそのまま残っている。
長驛と右書きなのが嬉しいね。昨今のレトロブームにあやかったものではなくず~っと昔からこのまま!
関東鉄道 竜ヶ崎線 [鉄道大好き♪]
新年会も一段落ついたし、寒さゆえの出不精な休日が続いているので、とれとれピチピチの新鮮なブログネタがない
いっそ雪でも積もれば、それはそれでカメラをお供に戸外へ飛び出す契機ともなるのだが・・・。
まあ、こんな冬の日は、静かに大バッハの器楽曲などを聴きながら、昔日を思い出してみるのも悪くない
・・・ということで、ファジーの得意とする昔話のはじまり~はじまり・・・チョン!
今は昔・・・28年前の茨城の関東鉄道のお話。
昭和40年に常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道とが合併して発足した関東鉄道は、以来日本最大の非電化私鉄の名誉を担ってきたが、昭和54年4月1日をもって筑波線を筑波鉄道とし、鉾田線を鹿島鉄道として分離分割譲渡された。
この分割から1年ほどたった昭和55年5月、ファジーは有り余る時間を持て余して、関東鉄道竜ヶ崎線および筑波鉄道筑波線ならびに鹿島鉄道鉾田線を訪れた。
そこには、今では考えられない「てっぱく(鉄道博物館)」保存級の貴重なディーゼル車が現役で活躍していた。
まずは、関東鉄道の竜ヶ崎線・・・いってみよう!
ベルニナ号 [鉄道大好き♪]
前回、古い写真を掲載したが、モノはついでと・・・
そのときもう一箇所訪れたところを、ここに併せてご覧いただきましょ。
今は昔・・・
箱根登山鉄道に何十年ぶりに新型車両1000系ができたという情報を得たので、
NikonFにKodachromeを詰め込んで出掛けた。
昭和56年3月15日のことであった。
JR平成20年春ダイヤ改正・おおさか東線 [鉄道大好き♪]
平成19年12月20日、JRが平成20年春のダイヤ改正を発表した。
寝台急行の「銀河」がなくなるのは、なんとしても惜しいが、一方城東貨物線の一部(放出~久宝寺)が「おおさか東線」として旅客運用開始するのは嬉しい知らせ。
しかし、話が出てから随分な年月が経ったなあと思う。40~50年くらいは経ったのでは・・・。当初は大阪外環状線といわれていた。
先日近鉄の永和駅の近くに用事があったので、そのときJRの建設状況を見に立ち寄った。
ほとんど駅のほうは出来ているようだ。
上方には近鉄奈良線の河内永和駅の西端のホームがみえる。
九州鉄道記念館 [鉄道大好き♪]
ひさしぶりにテツネタをひとつ・・・
先日、博多への出張があったが、サクッと仕事を終えて、門司港まで足を伸ばた。
この地を訪れるのは二度目だ。
重要文化財の門司港駅本屋の紹介はのちほどとして、駅の南側にある九州鉄道記念館を訪れた。
鉄道科学博物館・ミュージアム探検ツアー(鉄道の日特別バージョン) [鉄道大好き♪]
10月14日は、鉄道記念日
今年はたまたま日曜日だったが、なぜ国民の祝日にならないのだろうか?
同日、埼玉の大宮では華々しく鉄道博物館のオープニングセレモニーをやっていることだろう。
彼の地から遠く離れた場所にいては、馳せ参じるわけにはママならないものの・・・、
なにもしないのもシャクなので、子供を煽って、弁天町の交通科学博物館を訪れる。
交通科学博物館では土日限定で、保存してある貴重な車両の内部に立ち入らせてもらえる車両見学ツアー(無料)がある。
普段の日は、
スシ28食堂車(写真はその車内)とマロネフ59寝台車などを見学。
重厚な造りが魅力的。
昔は、スシ28をレストランとして使っていた。
このテーブルでサンドイッチやカレーを食べたのが懐かしい・・・のだが、今は貴重な文化財ゆえ普段は立ち入り禁止。
マロネフ59は定員がたった14名。車両の半分はコンパートメントになっている贅沢な車両である。
もともとは、皇族専用車両だったが、戦後は進駐軍がめざとく見つけて進駐軍専用車両として使っていたものである。
しかし米軍の大男にとっては、座席も寝台もややキュウクツではなかったカナ。と思う昨今である。
・・・以上がいつもの探検ツアー。
阪神電車1000系デビュー [鉄道大好き♪]
先週の金曜日のことである。
阪神尼崎に用事があり、午前10時少し前に、阪神梅田駅のプラットホームに降りるとなにやら多くの人だかりができている。
なんだろうと思ってみると、その日10月5日は、新車の1000系のデビューの日らしい。
0系こだま号 [鉄道大好き♪]
光速より遅い、音速をイメージする「こだま」号に昨日乗車。
午前8時すぎに姫路に行く必要あるため、新大阪から新幹線を利用する。
予定より少し早く新大阪駅についたので、こだまでゆっくりいこう。ということになり、20番ホームに上れば、待っていましたよ。0系新幹線が・・・。
新大阪7時37分発広島行きのこだま635号である。
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