交通科学博物館・曝涼展 [鉄道大好き~平成編]
大阪・弁天町の交通科学博物館が、京都の梅小路蒸気機関車館に併合されて大規模な鉄道博物館になるとの報を受けて、いよいよ閉鎖の時に向けてのラストランとなっていた。
去る平成25年10月14日鉄道記念日に同館を訪れた。
その日は、無料開放日であることは、了知していたが、それよりまして収納品の数々が「曝涼展」と称して特別展示されているから訪れた次第である
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リニア・鉄道館の名車輛“ホジ6014” [鉄道大好き~平成編]
明治30年代、関西鉄道や河南鉄道では、本邦初のこころみとして、オーストリア・ガンツ社の蒸気動車を導入したが、構造が複雑で故障が多く、また亀山付近の急勾配を上れず、もて余し気味だった。
明治42年に汽車会社の設計掛長である工藤兵次郎が考案した工藤式蒸気動車が登場し、その短所を補い、全国で利用されるようになった。
当社で製造された№19のキハ6801は、名古屋鉄道において保管され、明治村で保存展示されている。(汽車会社製造史より)
構造は、車体の一端に小型B型機関車を配置したようなもので、運転室は両端にあって、ターンテーブルで転回せずに折り返し運転が可能なものであった。
また、動力機関については、前方の観音開きにより機関全体を抜き出し点検できる構造となっていた。
同車の機関部分に用いられた同型のB型タンク(三菱長崎造船所納 №29 “汽車会社製造史”より)
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リニア・鉄道館の名車輌“モハ52004” [鉄道大好き~平成編]
リニア・鉄道館に保存されている車輌の中でも、決して忘れられない車輌がある。
それは、戦前の流線型ブームにのって登場した数々の車輌の中でも、その斬新な形状と明るい色彩は何とも魅力的であった関西急行車輌のモハ52である。
その弾丸のような流線型が何とも頼もしい。
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リニア・鉄道館の名車輌“ドクターイエローと100系新幹線食堂車” [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
少し時代を下げて昭和の後半にタイムスリップ
今回の訪問で是非とも再開を遂げたいと思っていたのが、この車輌
一般的に“ドクターイエロー”と呼称される「新幹線電気軌道総合試験車」の2代目
昭和57年1月8日に新大阪駅で遭遇したドクターイエローまさにその車輌である。
鼻先は、象牙色からミカン色に変わってしまったが、とにかくその再会は嬉しい。
何やら小生もその時の年齢に戻ったようで、血潮が沸き立つ思いがする。
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リニア・鉄道館の名車輌“モハ1系(モハ1035)” [鉄道大好き~平成編]
嬉しくも再開を果たした車輌のひとつがモハ1系(モハ1035)
木目正しい山栗色の車体に三等車表示の赤帯が凛々しい。
国鉄最古の電車として鉄道博物館で展示されている院電ナデ6141とともに、こういう貴重な車輌が復元展示されるのは誠に嬉しい。
モハ1035は、三信鉄道に譲渡後、再国有化、さらに大井川鉄道に譲渡された2両のうちの1両(モハ301)で、以降千頭駅構内で保管されてきたものである。
これは、今から遡ること30年・・・昭和58年10月17日東京からの帰りに大井川鉄道で訪れた時に撮影した、同車輌の様子。(於:千頭駅構内)
モハ1035は、鉄道院時代の木造電車デハ33500形のナレの果ての姿であった。
リニア・鉄道館初訪問 [鉄道大好き~平成編]
平成6年 長野電鉄訪問・長野線(続) [鉄道大好き~平成編]
前回からのつづき・・・
長野電鉄の屋代駅から乗車して須坂駅で本線に乗り換え
今日の宿泊地は、渋温泉・・・湯田中行きの特急が来るまで暫し構内パトロール
長野行きの特急は、阪神電車の3011系によく似た、タマゴ形ののっぺりとしたマスクの2000系
昭和32年から39年にかけて12輌が、長野電鉄のオーダーで日本車輌で製作されたものだ。
通勤車輌として導入された新OSカー・・・まだまだ利用可能と思われるが、この後2年ほどで全車廃車となっている。
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平成6年 長野電鉄訪問・屋代線屋代駅 [鉄道大好き~平成編]
平成6年5月14日(土)大学時代の友人が長野で結婚式を挙げるというので、一日前から信州に向かう。
キハ85系 特急ワイドビューひだ
名古屋駅には、少し早く到着したので、在来線の特急ウオッチング。
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平成5年 雀田のクモハ42001 [鉄道大好き~平成編]
・・・前回からのつづき
平成5年12月15日山口宇部でお仕事を済ませた後、小野田線の雀田に到着
乗ってきた普通列車を見送って、後ろを振り向けば・・・
おおっ、素晴らしきサイドビュウ
往年の名車輌クモハ42である。
扉は施錠され内部に立ち入ることは出来なかったのが残念だが、そもそもこの列車一日に数本しか運転されないので、致し方ない。
無人駅のこの駅には運転手の姿も見つけることなく、次に乗るべき列車が来るまでの2時間ほど、ゆっくり・じっくり見学することとした。
誕生当時の特急用客車のスハ32と同様に、小窓がずらりと並ぶ様は実に端整である。
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平成5年冬 山口・宇部出張 [鉄道大好き~平成編]
平成5年12月15日早暁 出張で山口県宇部市に向かう。
新大阪には午前6時40分に到着
自働改札化以前の在来線からの新幹線乗換口は、このようにあっさりしたものだった。
しかしながら、朝早くからビジネスマンの姿が多いのは、昔も今も変わらない。
新大阪仕立ての7:00発「のぞみ501号博多行」に乗車。
この当時の「のぞみ」は、300系車輌だった。鉄仮面のようなのっぺりした先頭車両が特長だ。
この大きなパンタグラフの風防が何とも違和感を感じるところではある。
もちろん0系車輌もJR西日本ではまだまだ現役だった。
このとき初めて「のぞみ」に乗車したが、車窓の流れが「ひかり」より速く感じられた。
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平成5年秋の阪堺電車(続) [鉄道大好き~平成編]
前回からのつづき・・・
大和川鉄橋を視察した後は、我孫子道まで戻ってきた。
車庫内を外から覗くが、カラフルな車輌の姿が見える。
ここにも旧京都市電のモ254がお休み中・・・
この当時、外装の多彩さは正味うんざりするほどだった。
よって写真映りがよくないものだから余りカメラを向けることはなかったが、今回はZeissのPlanarの試写ということがあり写真散歩に出かけた。
しかしこのときから20年を経ると、流石に貴重な車輌が写り込んでいるのに嬉しくなる。
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有人改札時代の南海高野線・西天下茶屋駅 [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
驚愕の木津川駅を満喫した後は、銀輪をさらに南に向かわせる。
津守駅は、カメラを向ける気をも喪失させるが如き味気なきものにして、流し目のみにて通過す。
次の西天下茶屋駅は、堂々とした近代建築。戦前のモダン建築の芳香を色濃く残している。
入口ヒサシのデザインやその上にある光取窓など南海らしさが感じられる。
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平成5年 南海電車の旧塗装車輌を求めて [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
最近、南海電車の伝統ある南海カラーが変わりつつあるというので、今のうちに記録しておかねばと思い、クラシックな南海・汐見橋駅からフォト散歩に出かけた。
平成5年9月11日
この南海1521系車輌も風前の灯火・・・汐見橋線ではこの2年後の平成7年8月24日に運転終了となり、同年10月の和歌山港線でのさよなら運転をもって南海における営業運転を終了した。
昭和の扇風機がブンブン廻つて生温き空氣を攪拌してゐる・・・そもまた一興なり。
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平成5年 自動改札機導入前の南海・汐見橋駅 [鉄道大好き~平成編]
平成5年9月11日のことだった。
南海電車の車輌の塗装が伝統ある南海カラーから変わりつつあることが気になったので、久しぶりに汐見橋駅を中心としたフォト散歩に出かけた。
都会のエアースポットのような南海電鉄・汐見橋駅
駅構内はガランとして人影も少ない。利用者の多くは近くの難波駅を使うため、現在では都心のローカル線の始発駅といった存在だが、じっくり観察するととても面白い路線である。
歴史を訪ねると、明治37年の鉄道地図に早くも「高野鉄道」の起点として登場している。(明治33年9月3日開業時の駅名は「道頓堀駅」)
因みに、同線の「阿倍野駅」は、大正14年に本線と統合し、「岸ノ里駅」と名称変更された。
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平成5年 阪神電鉄・福島駅地下工事レポート(続) [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
H5.8.22のフォト・ウォッチングでは、阪神電鉄・福島駅の西側にも足を伸ばしているので、そのときの様子とH25.1現在の様子とを比較してみたい。
なにわ筋とあみだ池筋との中間区域・・・高架のJR環状線としばらくの区間並んでいたところである。
環状線の車窓から並走する阪神電車を眺めるのが好きだった・・・・。
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平成5年 阪神電鉄・福島駅の地下工事レポート [鉄道大好き~平成編]
平成5年8月22日(日) 地下工事の進む阪神電鉄・福島駅周辺をパトロールした。
(註) この当時、阪神電車は、地下の始発駅梅田を出ると今でいうところのハービスOSAKAの東端あたりから地上に出て高架駅の野田阪神までは、地上路線を走っていた。
これは、国道2号線「出入橋」交差点の様子。
前に見える踏切もいままでと寸分違わぬ日常風景なのだが・・・。
あとわずか2週間足らずでこの界隈は、地下路線となり、この踏切はその姿を消すこととなる。
そうとなれば、この界隈を記録しておかなければと、思い立ったが吉日、買ったばかりのCONTAX-T2を片手に気楽なフォト・ウォッチングに出かけたのだった。
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平成5年 市電保存館完成記念の車輌展示会(その2) [鉄道大好き~平成編]
続いての車輌は、古典車輌の11型客車(30号)である。
すぐ横には地下鉄四つ橋線の新鋭車輌の姿も見受けられ、その時々の主役の否応なしの移り代わりが歴然と感じられる。
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寺前行普通列車は、なんと超ロングシートのキハ58だった! [鉄道大好き~平成編]
平成4年7月1日のことだった。
姫路から和田山に伸びる播但線は、この当時、仕事でもたまに使うことがあった。
姫路10:12発の普通寺前行きに乗車して福崎に向かった。
姫路駅播但線ホームに発車を待つ堂々の6両編成
手前に見えるのはキハ585511であるが、このカラーリングは以前どこかで見たことのあるような・・・
1年前の平成3年4月に、和倉温泉でみたキハ58である。
七尾線の電化で余剰となった気動車がそのまま播但線に流れてきたものだった。
それだけなら、あまり驚くべきことはないが、車中に入ってみて、おろろいた!
なんということでしょう!
クロスシートを排除して設置された、こんなに長大なロングシートは、いまだかつて見たことがない。
途中に乗車扉がないため、15mもあろうかと思われる座席には圧倒される。
窓枠ひとつにつき3人掛けのシートを並べてあると計算すると11×3=33人掛けのロングシートである。
吊革は、はたして何個あるのやら・・・
ちょっと有り得ない光景に感動して、カバンの中から思わずカメラを取り出した。
一度全席埋まった状態を見たかったものだ。
※キハ58-5511は、金沢鉄道部のキハ58-433を平成4年1月31日付で松任工場にてロングシート化して姫路に異動させたものであり、その後平成11年4月23日付けをもってタイ国に輸出された。
(参考)
キハ58-5500番台
1991 - 1992年に姫新線や播但線などのローカル輸送で、通勤輸送を考慮してロングシート化改造されたグループ。床材張り替え、吊り手増設なども併せて行われた。改造施工は、鷹取・松任の両工場。全車姫路鉄道部に配置されたが、1999年に全車廃車となり廃区分番台となった。廃車後31両中20両がタイに譲渡されている。(Wikipediaより)
平成3年 西大寺鉄道バケットカー発見! [鉄道大好き~平成編]
平成3年7月22日仕事で岡山へ出向いた。
両備バスに乗って西大寺バスターミナルまで行ったが、そこで驚愕の西大寺鉄道のバケットカーを発見し、大喜びの写真撮影となった。
あたかも始発駅西大寺市駅のホームで出発を待つ現役車輌のような風情である。
仕事カバンには常にコンパクトカメラ(オリンパスXA)を忍ばせておくことの価値を改めて感じた次第なり。
もしカメラを持っていなかったらどんなに悔やまれたことであろうか。
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平成4年9月 再び小諸・望月町へ [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
平成2年に小諸を訪れたが、それから2年ぶりとなる同地訪問である。
前回と違い、学習がすすんで、小海線の北中込駅からだと望月町へは程近いということが分かったので、今回はそのルートを取った。
北中込駅は、ホームに上屋もない簡易な駅だった。
キハ110-106ほか
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鉄道施設の“痰壺(タンツボ)”を考える [鉄道大好き~平成編]
思えば、平成4年9月28日の早暁のことだった。
2年ぶりに信州小諸に向かう途上に降りた新大阪駅の12番ホームで、最近トンと目にしないため、てっきり絶滅したと思っていた「痰壷(タンツボ)」を発見した。
太いホームの柱のネキに、ちんまりと納まっていた。
それも赤ペンキの工部省マークのついたホーローびきの出自正しき純正品である。
おおっ!と唸り、新幹線の発車時刻を気にしながらも、通行人が少なくなるのを待ってカバンからカメラを取り出し“激写”した。
上記写真の部分アップすると、周辺のガラス質がかなり剥げ落ちて時代を感じるものとなっている。
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平成4年 近江鉄道日野駅訪問 [鉄道大好き~平成編]
平成4年6月1日とある仕事で近江鉄道日野駅に向かった。
普段の仕事だとJR近江八幡駅からバスで日野に向かうのだが、このときは時間に余裕があったのか鉄道を利用した。
ステンレスの模様腰板と乗客用扉を有していたハイカラなモハ506+クハ1506
近江八幡駅にて
その車内を観察すれば・・・ワンマンカーの料金箱は分かるけど、そこの座席は正座専用??
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地上駅よさらば・・・北陸本線金沢駅 [鉄道大好き~平成編]
平成3年4月27日黄金週間を使って、職場旅行として和倉温泉に出かけた。
立ち寄った金沢駅では、高架工事の真っ只中。
駅本屋は変わりなかったが、ホーム部分は、レールが剥がされ、架線柱が撤去され、哀れな状態だった。
昭和60年9月に立ち寄った折もかなりレールが剥がされた状態であったが、その後高架ホームができて、いよいよ高架駅への切り替えを待つばかりとなっていた。
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平成2年 平成の千曲川スケツチ [鉄道大好き~平成編]
/平成2年11月14日些かなる出張の命ありて長野縣北佐久郡望月町なる地處に赴く。
望月町といへば、古城のほとりなる小諸より旧弊たる路線の乘合自動車にて、思はるる以上の時間揺られざれば到着できぬ箇所なり。
よつて大坂より陸路を辿るれば、だうしても日歸り不可能と相ひなる。
此のご時世、札幌や那覇にても大坂から日歸り可能也といふに、其れより頗る近き信州・北佐久の某町へのそれが叶わぬとは、何とも理不儘なる心地こそ憶ゆれ。
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平成2年9月 三角屋根のJR長崎駅 [鉄道大好き~平成編]
平成2年9月23日職場旅行で長崎オランダ村に行った。
(しかしながら歴史の経緯は無情なもので、平成4年のハウステンボスが開園してからは、とんと忘れられた存在となり、知らない間にその姿を消してしまったようだ。)
その最終宿泊地はJR長崎駅近くの「ホテルニュー長崎」だった。
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平成2年1月 シュプール号でスキーに行こう [鉄道大好き~平成編]
平成2年1月のことだった。
大学時代の旧友と岩岳にスキーに行くこととなったが、メンバーは全国に散らばっているため、現地集合ということになった。
小生は、新大阪から名古屋まで新幹線を利用して、名古屋からは夜行列車のシュプール号でいくことにした。
昔と違い、スキー板やスキー靴の嵩張る荷物は、宅急便で先送りすることができたので、本当に気軽なスキー旅行となった。
名古屋駅ではユーロライナー仕様の『 シュプール ユーロ赤倉・志賀 』に遭遇する。
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開設40周年の梅小路蒸気機関車館 [鉄道大好き~平成編]
今年は、本邦鉄道開設140周年にあたるが、鉄道100年を記念して開設された京都・梅小路蒸気機関車館の40周年にもあたる。
その鉄道記念日である10月14日がちょうど日曜日であったので、小学生の息子とともに彼の地を訪れた。
山陰線・丹波口駅までJRを利用する。
旧二条駅駅舎の正面玄関もすっかりなじんできた。
開設当時の入り口はもう少し南側で山陰線の高架下のトンネルをくぐるような感じであったように記憶している。
鉄道記念日なので、今までの経験からきっと入場料は無料ではなかろうか・・・と思っていたが案に違わず無料であった。
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平成元年 南宮崎車輌基地を訪ねて [鉄道大好き~平成編]
平成1年10月26日に続いて同年11月2日に再び宮崎を訪れる。
前回同様大淀川鉄橋を訪れた後は、南宮崎に向かう。
そこには、車輌基地があるので、写欲を満たすような車輌はいないか?との思いからである。
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平成元年 宮崎・大淀川鉄橋訪問 [鉄道大好き~平成編]
宮崎の日豊本線大淀川鉄橋といえば、鉄道写真撮影者にとっては聖地といえるところである。
特に蒸気機関車の場合は足回りがすっきりと見渡せ、良い写真が撮れるところとして有名であった。鉄道写真集でも数多く目にするビューポイントである。
そんな名所に一度は訪れたいと思っていたが、平成1年10月26日仕事で宮崎に行くことがあり、その合間を縫って初めて訪れた。
宮崎発博多行き 急行えびの4号 5614D キハ58×2+キハ65
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消え行く片町駅夜景 [鉄道大好き~平成編]
平成元年のことだった。
国鉄時代から計画されてようやくこの年に工事がスタートしている「JR東西線」
同線の完成とともに消滅する運命の「片町駅」
昼間は、駅前のタクシーなどが邪魔をして上手く写真が撮れない駅だったが、夜間ともなると駅前はひっそりして多少道路に飛び出しても自動車の迷惑になることがなかった。
何かの会合の帰りだと思われるが、そのようにして撮影した片町駅の写真が1枚手許にある。
昼間の同駅写真は枚挙にいとまがないが、夜の光景は珍しいのではなかろうか。
戦前の駅舎の特徴をもち、神戸駅と同様シンプルな造形にスクラッチタイルの外観が渋い。
また他の駅に先駆けて「自動改札機」いち早く導入された駅でもある。
玄関口をアップしてみた。木製の重厚なガラス扉が懐かしい。
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