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懐かしの連絡航路・高松~宇野 [阿房の気まま旅日記]
(前回からのつづき)
わざわざ高松まで来たのには、訳がある。
数少ないイタリア・デルタ社製のとある万年筆を探していたのだ。関西の店舗やインターネットではすでに完売表示をみるのみであった。
高松三越はデルタを取扱う店舗ということが分かったので、もしやあれば・・・と淡い期待を寄せて立ち寄った次第である。
しかし結果は目論見とおりで、なんと1本だけ残っていた。
去年3月に日本のみに限定150本だけ発売されたイタリア・デルタ社製万年筆・コラッジオ~邦訳:勇気である。
東日本大震災を契機に、デルタ社が日本向けのメッセージ商品として発信したもののひとつである。
デルタといえば、太陽のように鮮やかなオレンジ色の軸をもつドルチェビータが夙に有名であるが、これはその軸色がオレンジより茶寄りの渋い色合いで、そこが何とも魅力的で手に入れたかった一品である。
外箱はド派手で極めて大層なものではあるが、迷わず買い求め、自分自身へのお年玉とする。
これで当初の目的は早々と達成したので、あとは意気揚々として、懐かしの連絡船と同じ航路で本州・宇野に渡ろうと思う。
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平成25年1月JR予讃線・豊浜より高松へ [阿房の気まま旅日記]
平成25年1月家内の実家へお年賀に伺う。
もちろん彼の地では、名物“あん餅雑煮”を楽しんだ。
あんこ入り餅が入った白ミソ雑煮であるが、毎年いただいていると、食べないと何か忘れものをしたような気にさせる郷土料理である。
翌日には、妻子を残し一足早く予讃線・豊浜駅より帰阪する。
豊浜は、大平正芳元首相の出身地である。地の人たちは、天皇陛下の次に彼を崇めているようだ。
駅前の様子は、昔から少しも変わらない。
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平成6年 桜島線から浪速駅へパトロール [お散歩写真]
前回からのつづき
平成6年6月に桜島をパトロールして港区に天保山渡船で渡る。
その渡船場まえには、何とも風情のある食堂があった。
その名称は“渡船場食堂” 白い暖簾が清清しいね。
さて、今も健在かは、確認していない・・・
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平成6年 JR桜島線の可動橋レポート [ほとがら散歩]
現在では、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で日夜賑わっている彼の地であるが、まだUSJがオープンする7年前の平成6年6月11日のことだった。
此花区の北港運河にかかるJR桜島線の可動橋の存在が気になって訪れた。
昭和36年の地図から
現在USJの東に位置する南北の道路は、昔は北港運河と呼ばれる水路であった。
(陰の声)因みに安治川口駅前の汽車製造株式会社もこれまた懐かしい!
その北港運河には正安橋という一般道路の橋梁が架かっていたが、その下の運河に船舶が通航する時には天秤方式で跳ね上げる可動橋であった。
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交通科学博物館・曝涼展 [鉄道大好き~平成編]
大阪・弁天町の交通科学博物館が、京都の梅小路蒸気機関車館に併合されて大規模な鉄道博物館になるとの報を受けて、いよいよ閉鎖の時に向けてのラストランとなっていた。
去る平成25年10月14日鉄道記念日に同館を訪れた。
その日は、無料開放日であることは、了知していたが、それよりまして収納品の数々が「曝涼展」と称して特別展示されているから訪れた次第である
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リニア・鉄道館の名車輛“ホジ6014” [鉄道大好き~平成編]
明治30年代、関西鉄道や河南鉄道では、本邦初のこころみとして、オーストリア・ガンツ社の蒸気動車を導入したが、構造が複雑で故障が多く、また亀山付近の急勾配を上れず、もて余し気味だった。
明治42年に汽車会社の設計掛長である工藤兵次郎が考案した工藤式蒸気動車が登場し、その短所を補い、全国で利用されるようになった。
当社で製造された№19のキハ6801は、名古屋鉄道において保管され、明治村で保存展示されている。(汽車会社製造史より)
構造は、車体の一端に小型B型機関車を配置したようなもので、運転室は両端にあって、ターンテーブルで転回せずに折り返し運転が可能なものであった。
また、動力機関については、前方の観音開きにより機関全体を抜き出し点検できる構造となっていた。
同車の機関部分に用いられた同型のB型タンク(三菱長崎造船所納 №29 “汽車会社製造史”より)
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リニア・鉄道館の名車輌“モハ52004” [鉄道大好き~平成編]
リニア・鉄道館に保存されている車輌の中でも、決して忘れられない車輌がある。
それは、戦前の流線型ブームにのって登場した数々の車輌の中でも、その斬新な形状と明るい色彩は何とも魅力的であった関西急行車輌のモハ52である。
その弾丸のような流線型が何とも頼もしい。
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阿倍野パトロールと明治屋 [ほとがら散歩]
リニア・鉄道館の名車輌“ドクターイエローと100系新幹線食堂車” [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
少し時代を下げて昭和の後半にタイムスリップ
今回の訪問で是非とも再開を遂げたいと思っていたのが、この車輌
一般的に“ドクターイエロー”と呼称される「新幹線電気軌道総合試験車」の2代目
昭和57年1月8日に新大阪駅で遭遇したドクターイエローまさにその車輌である。
鼻先は、象牙色からミカン色に変わってしまったが、とにかくその再会は嬉しい。
何やら小生もその時の年齢に戻ったようで、血潮が沸き立つ思いがする。
つづきは・・・コチラ
リニア・鉄道館の名車輌“モハ1系(モハ1035)” [鉄道大好き~平成編]
嬉しくも再開を果たした車輌のひとつがモハ1系(モハ1035)
木目正しい山栗色の車体に三等車表示の赤帯が凛々しい。
国鉄最古の電車として鉄道博物館で展示されている院電ナデ6141とともに、こういう貴重な車輌が復元展示されるのは誠に嬉しい。
モハ1035は、三信鉄道に譲渡後、再国有化、さらに大井川鉄道に譲渡された2両のうちの1両(モハ301)で、以降千頭駅構内で保管されてきたものである。

これは、今から遡ること30年・・・昭和58年10月17日東京からの帰りに大井川鉄道で訪れた時に撮影した、同車輌の様子。(於:千頭駅構内)
モハ1035は、鉄道院時代の木造電車デハ33500形のナレの果ての姿であった。
リニア・鉄道館初訪問 [鉄道大好き~平成編]
平成6年 長野電鉄訪問・長野線(続) [鉄道大好き~平成編]
前回からのつづき・・・
長野電鉄の屋代駅から乗車して須坂駅で本線に乗り換え
今日の宿泊地は、渋温泉・・・湯田中行きの特急が来るまで暫し構内パトロール
長野行きの特急は、阪神電車の3011系によく似た、タマゴ形ののっぺりとしたマスクの2000系
昭和32年から39年にかけて12輌が、長野電鉄のオーダーで日本車輌で製作されたものだ。
通勤車輌として導入された新OSカー・・・まだまだ利用可能と思われるが、この後2年ほどで全車廃車となっている。
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平成6年 長野電鉄訪問・屋代線屋代駅 [鉄道大好き~平成編]
平成6年5月14日(土)大学時代の友人が長野で結婚式を挙げるというので、一日前から信州に向かう。
キハ85系 特急ワイドビューひだ
名古屋駅には、少し早く到着したので、在来線の特急ウオッチング。
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平成6年1月 伊丹空港の“マリンジャンボ” [或る日の出来事]
平成6年1月30日のことだった。
大阪国際空港(伊丹空港)にクジラのペインティングを施した全日空機の“マリンジャンボ”が飛来するというので出かけてみた。
航空ファンというわけではないが、話題性が高い飛行機なので、カメラの望遠レンズの性能テストを兼ねて伊丹空港の屋上デッキからひとときあれこれと航空機を撮影してみた。
本編はコチラ http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1625.html
平成6年1月 大型練習帆船“海王丸”の大阪寄港 [お散歩写真]
平成6年1月22日大阪港に航海練習船で大型練習帆船の海王丸が寄港すると聞いていたので、天気晴朗なれど、北風強く、港内にも白波が立つ状態の天保山岸壁にカメラを携えて出かけた。
11時30分 大阪市の広報船に先導されるようにして大阪港内にその姿を現すと、華麗なスタイルの大型帆船の来航に、岸壁にいる人たちはその耳目を自然に集めていた。
左隅の工事現場は、建設中の“なにわの海の時空館”である。
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平成5年 雀田のクモハ42001 [鉄道大好き~平成編]
・・・前回からのつづき
平成5年12月15日山口宇部でお仕事を済ませた後、小野田線の雀田に到着
乗ってきた普通列車を見送って、後ろを振り向けば・・・
おおっ、素晴らしきサイドビュウ
往年の名車輌クモハ42である。
扉は施錠され内部に立ち入ることは出来なかったのが残念だが、そもそもこの列車一日に数本しか運転されないので、致し方ない。
無人駅のこの駅には運転手の姿も見つけることなく、次に乗るべき列車が来るまでの2時間ほど、ゆっくり・じっくり見学することとした。
誕生当時の特急用客車のスハ32と同様に、小窓がずらりと並ぶ様は実に端整である。
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平成5年冬 山口・宇部出張 [鉄道大好き~平成編]
平成5年12月15日早暁 出張で山口県宇部市に向かう。
新大阪には午前6時40分に到着
自働改札化以前の在来線からの新幹線乗換口は、このようにあっさりしたものだった。
しかしながら、朝早くからビジネスマンの姿が多いのは、昔も今も変わらない。
新大阪仕立ての7:00発「のぞみ501号博多行」に乗車。
この当時の「のぞみ」は、300系車輌だった。鉄仮面のようなのっぺりした先頭車両が特長だ。
この大きなパンタグラフの風防が何とも違和感を感じるところではある。
もちろん0系車輌もJR西日本ではまだまだ現役だった。
このとき初めて「のぞみ」に乗車したが、車窓の流れが「ひかり」より速く感じられた。
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平成5年秋の阪堺電車(続) [鉄道大好き~平成編]
前回からのつづき・・・
大和川鉄橋を視察した後は、我孫子道まで戻ってきた。
車庫内を外から覗くが、カラフルな車輌の姿が見える。
ここにも旧京都市電のモ254がお休み中・・・
この当時、外装の多彩さは正味うんざりするほどだった。
よって写真映りがよくないものだから余りカメラを向けることはなかったが、今回はZeissのPlanarの試写ということがあり写真散歩に出かけた。
しかしこのときから20年を経ると、流石に貴重な車輌が写り込んでいるのに嬉しくなる。
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平成5年秋の阪堺電車 [或る日の出来事]
先日のcontaxのTessarに触発されて、また大枚はたいてレンズを買ってしまった。
今度は、油絵のような色のりのCarl-Zeiss
Planar85mm/f1.4 (定価¥109,000-)
このずしりと重く、深い井戸の中を覗くようなレンズの塊を眺めているだけで、ウイスキーのアテになるような絶品の光学製品である。
鉄道には85mmレンズが必需なりと勝手に決め付けて、ピント合わせが難しいレンズであるが、購入に踏み切った。
そうなると試し撮りがしたくてたまらない・・・平成5年11月15日手軽な阪堺線を訪れた。
この当時はモ253(旧京都市電1800系車輌)も運用していたようだ。於:恵美須町
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平成5年 Tessarと天保山ほとがら散歩(続) [お散歩写真]
前回からのつづき・・・平成5年当時の天保山界隈の風景を追う
大阪・天保山では、今でもおなじみの遊覧船サンタマリア号
よく考えればもう20年以上の現役選手なのだ。よく頑張ってるね。
これだけ見れば、平成25年の現在の風景と同じように見えるが、左奥の様子がちょっと気にかかる。
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平成5年 Tessarと天保山ほとがら散歩 [お散歩写真]
平成5年のことだった。
いままで数多くの一眼レフ用のレンズを見てきたが、そのレンズの大きさには常々辟易していた。とくに父から「これはプロ用のカメラだから大切に使いなさい」と譲り受けたNikonFフォトミックとニッコール5.8cm/f1.4の組合せは、比べるものなく長年大切に使い続けていたが、最近その大きさと重さに疑問を感じるようになった。
確かに写りに不満はないが、アマチュアはアマチュア用のコンパクトで軽量のカメラやレンズがあるのではないかと・・・。
そんな中、カメラ店で見つけたCarl Zeiss Tessar 45mm/f2.8の際立ったコンパクトさには瞠目させられる思いがあった。
またTessarは、3群4枚のシンプルなレンズ構成だが誕生から100年近く現役であることから判るようにその信頼性が高い名玉である。
Tessarのレンズ構成
このレンズを使うには、カメラのボディがContaxでなくてはならず、その値段の高さが邪魔をしてCarl Zeissのレンズを身近にすることは叶わなかったが、平成5年10月このレンズが使える安価なマニュアルカメラ Yasica FX-3 SUPER が発売されたので、一緒に手に入れることが出来た。
Carl Zeiss Tessar 45mm/f2.8 定価¥37,000- 購入価格¥27,000-
Yashica FX-3 SUPER 定価¥24,800- 購入価格¥16,000-
レンズより安価なカメラとはどんな関係になるのかと疑問を持ちながらも・・・その軽さと、電池がなくてもシャッターが切れるマニュアル機の信頼性と余計なものがついていないシンプル性がストレスをもたらさないのが嬉しい。
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有人改札時代の南海高野線・西天下茶屋駅 [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
驚愕の木津川駅を満喫した後は、銀輪をさらに南に向かわせる。
津守駅は、カメラを向ける気をも喪失させるが如き味気なきものにして、流し目のみにて通過す。
次の西天下茶屋駅は、堂々とした近代建築。戦前のモダン建築の芳香を色濃く残している。
入口ヒサシのデザインやその上にある光取窓など南海らしさが感じられる。
つづきはこちら http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1616.html
平成5年9月 驚愕の南海高野線・木津川駅 [ほとがら散歩]
過日、南海高野線の汐見橋駅から岸ノ里玉出駅までのショートトリップを楽しんだが、その車窓から気になる風景があったので、別の日にその気になる場所をパトロールすることとした。
ただ、電車だと途中下車すると次の列車まで、20分は待たなければならず、この晩夏の季節では屋外で待つのは少々辛い。
そこで地図を見ながら、しばし考えたが、渡し舟を利用すると、自転車でもさほどの距離にはならないことが判った。
平成5年9月18日、思い立ったが吉日、まだまだ残暑厳しい日ではあったが、カメラと地図帳をチャーリーの前カゴに放り込んで出かけたのだった。
港区福崎からは、尻無川の“甚兵衛渡船”を利用して大正区泉尾へ
僅か1分の船旅だが、生活の足として利用者は多い。
続きはコチラ http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1615.html
大阪市営地下鉄開業50周年記念復刻ポスター(後編) [秘密の小筐(ファジー・コレクション)]
前回からのつづき・・・
ポスター(その4)
前回記事の梅田本駅の開業から僅か1ヶ月足らずで心斎橋~難波駅の延伸工事が完了し、
昭和10年10月30日難波駅が開設した。
これは、その時のものである。
当時の難波駅は島式1面2線の地下駅で、それまでのドーム型の壮麗なホームではなく天井の低い箱型のホームであった。これはホームと地上との間の空間を地下商店街として利用しようと計画したとの事だ。
※大阪市の宣伝映画「大大阪観光」の4分08秒あたりにこのポスターが車内吊広告として一瞬だけ登場する。
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大阪市営地下鉄開通50周年記念復刻ポスター(前編) [秘密の小筐(ファジー・コレクション)]
実家の書棚に大丸百貨店の包み紙につつまれたまま保存してあったブツがある。
開封しなくても、その内容は憶えているので、買ったのはいいが、そのまま「棚の肥やし」となっていた。
しかし、最近ふと気になった・・・「いつ買ったものかなあ?」と
内容は、大阪市営の地下鉄開通50周年を記念して販売された地下鉄開通時のポスターの復刻版6枚ものである。
上代は600円
昭和58年頃に心斎橋大丸で大阪市交通局が記念の展示会をしたが、その折購入したものである。
・・・ということは、30年近く戸棚に眠っていたことになる。
拡げてみると、なかなか良いデザインのものも見受けられた。
せっかくの機会なので、約B3サイズの各ポスターをスキャンしてご披露しようと思う。
まずは超有名なこの一枚!
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レディー・カガに会いました! [或る日の出来事]
大阪駅の東口(御堂筋口)のロータリーは、駅改装工事が完了したことにより仮設店舗が撤去され、スッキリした風情を取り戻した。
こんな懐かしい「117系の新快速」の広告もその副産物としてその姿を見せた。
そんな中、ちょっと旅行に出かけた・・・
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平成5年 南海電車の旧塗装車輌を求めて [鉄道大好き~平成編]
(前回からのつづき)
最近、南海電車の伝統ある南海カラーが変わりつつあるというので、今のうちに記録しておかねばと思い、クラシックな南海・汐見橋駅からフォト散歩に出かけた。
平成5年9月11日
この南海1521系車輌も風前の灯火・・・汐見橋線ではこの2年後の平成7年8月24日に運転終了となり、同年10月の和歌山港線でのさよなら運転をもって南海における営業運転を終了した。
昭和の扇風機がブンブン廻つて生温き空氣を攪拌してゐる・・・そもまた一興なり。
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平成5年 自動改札機導入前の南海・汐見橋駅 [鉄道大好き~平成編]
平成5年9月11日のことだった。
南海電車の車輌の塗装が伝統ある南海カラーから変わりつつあることが気になったので、久しぶりに汐見橋駅を中心としたフォト散歩に出かけた。
都会のエアースポットのような南海電鉄・汐見橋駅
駅構内はガランとして人影も少ない。利用者の多くは近くの難波駅を使うため、現在では都心のローカル線の始発駅といった存在だが、じっくり観察するととても面白い路線である。
歴史を訪ねると、明治37年の鉄道地図に早くも「高野鉄道」の起点として登場している。(明治33年9月3日開業時の駅名は「道頓堀駅」)
因みに、同線の「阿倍野駅」は、大正14年に本線と統合し、「岸ノ里駅」と名称変更された。
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JR東海道線ガード下に見る戦争の痕跡 [ほとがら散歩]
平成5年9月 福島区鷺洲五丁目所在のJR東海道線ガードに立ち寄った。
何故ならば・・ここのコンクリート壁面に、先の大戦において米軍の戦闘機P51・ムスタングによる機銃掃射の痕跡があると耳にしていたからだ。
硬いコンクリート壁を穿つ数多くの不規則な蜂の巣状の“くぼみ”がそれである。
薄暗く人通りのないガード下でその“くぼみ”を一人凝視する。
堅固なコンクリートにこれだけの穴を穿つ銃弾の威力を想像すると、ゾクリと戦慄を感じた。
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美肴と名酒に出会った春の宵 [あまから手帖]
今夜は、小学校から高校まで12年間一緒だった旧友と一献
美味いものを少しつまみながら静かに話がしたいので、お店は、島之内にある懐食・清水
インターネットで検索すると、そこそこ有名なお店のようだ。
素材は逸品揃いで全く問題なし。
味付けは、関西人からみても薄味と感じ、素材本来の味わいを楽しめるものとなっている。
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